ORECHIGOKU

ひとこと

信頼できる情報源から入手したとされる根拠の無い情報によって、私達の心は、少しずつではあるけれど着実に、まるで万力のようにギリギリと、無自覚なままに蝕まれているのです。そのことに気づいてしまった私は、厳しい現実から逃げるように乳首ヶ丘の高台に登り、かつて過ごした穏やかな人たちとの日々を思い起こしています。その思いはいつか風に乗り、かつての信頼できる情報筋の人々の耳まで届きます。平穏だったはずの日々は、情報筋の人たちによって都合よく加工され、人々の食卓へと届けられます。それを口にした皆様の心はまた、ジワリジワリと蝕まれていくのです。

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H.B.ストラス
流浪のWEBクリーチャー。
世紀をまたいでなおもしぶとく続いている何だかわからない雑文が日々ダラダラと書き加えられていくというあまりエコ的な観点からするとエコではないサイトだかページだかマァなんて表現したらよいのかよくわからない今日この頃です。そんな感じでよくわからない人間がやってます。むしろ分ろうなんてしなくてイイんです。皆さんにはきっと他にもやるべきことがたくさんあるはずです。
Sorry Japanese Only
shiromuku(fs6)DIARY version 2.41

お知らせ

  • 画面を少し横長にしたり、ソースをキレイにしたり、画像をいろいろ変えました。<2017.03.5>
  • 気が付いたら表示が崩れていたので、少しスタイルシートを直しました。<2016.01.27>
  • ブツクサを右に。3カラムにしてみました。昔の雑なコーディングに悪戦苦闘。<2014.09.16>
  • ブツクサ言い始める。<2011.06.19>
  • 取り敢えず再公開。<2009.12.26>
  • さらに面倒くさくなったのでブログシステム的なものを導入しました。<2009.12.24>
  • 面倒くさい部分はDreamweaverさんにやって貰うことにしました。たまにはツールに頼ることも大切ですよね。そして思っていたよりもカシコイ<2009.1.14>

雑記

2017年08月17日(木) リアリティとニンジャ
実は昨日までお盆休みを取らせていただいておりました。本当のことを言うと、休みをとっても特にやるべきこともなかったので、ずっと働いていても良かったというか、精一杯働かないと晩酌も気持ちよく呑めないので、ただ与えられた権利とやらを消化しなくては逆に皆に迷惑という、なかなかややこしい状況下の夏休みでした。

そんなわけで今年の夏は、とにかく家に引きこもってやろうという高い志を胸に、一日二冊強の本と最低一作の映画を観て過ごしました。

面白いものもありました。そうでないものも結構ありました。

その中でも個人的にコレと感じたのは、鬼才アレハンドロ・ホドロフスキー監督作品「リアリティのダンス」でした。観たあとは「なんだか、ものすごいものを観てしまったな」という気持ちになってしまい、しばらく何も手につきませんでした。不気味で残酷で、それでいてとてつもなく優しい映画でした。

それからは、風呂に入っているときも、布団の中にいるときも、慈悲なのか邪悪なのかも良くわからないジュクジュクとしたモノがじわじわと心に染み込んでくる、そんな状態が続きました。

最近、急にまた活動的になっているのは、そして少しだけ人生に対し、肯定的になっているのだとしたら、おそらくこの作品の影響です。「エイリアンvsニンジャ」の影響ではないのです。

そういった意味も踏まえまして「リアリティのダンス」、もし気になった人はどんな作品か、検索して調べていただくと良いかと思います。オススメはしませんが。

「エイリアンvsニンジャ」については大体どんな作品か、検索しなくてもタイトルで想像がつくと思います。ご察しの通りです。
2017年08月16日(水) 背徳のススメ
文章を書くということに関しては手書きのほうが良いという意見があります。
ノートに書き出すと自分自身の考えが整理できるというのです。

思いついたことは左側のページにだけ書いて、あとでおウチで右側を補完しましょうとか、色に自分なりの意味をもたせ、蛍光ペンでカテゴライズして検索性を高めましょうとか、世の中には様々なテクニックが存在しているようです。

また、そういったテクニックを紹介する「ノート術」「手帳術」を特集に組んだ雑誌が定期的に刊行されているようです。

一方で、スマートフォンを使ってメモを取ったり文章を書いたりという人も増えてきているようです。「Evernote」や「OneNote」など、クラウド同期型のメモサービスを利用すれば、スマホで思いついたことをメモしておいて、あとでPCで閲覧することもできるし、続きを書いたり検索したりすることもできるという、非常に合理的なやり方です。

少し初心者向けのパソコン雑誌や、スマホやMacを格好良く使いこなすことを標榜とした雑誌なんかでは、こちらの特集が多く組まれているようです。

どちらにしても「アイデアをメモ」する、「スケジュールを管理する」といった特集が、世の中では定期的に組まれているというところを見ると、アナログ・デジタルを問わず、こういった「手帳術」といった記事が、いわゆる男性・女性誌で組まれる「ダイエット特集」のように「はずれない」ネタとして重宝されているということなのでしょう。

これから先、世の中が高齢化していったならば「ダイエット特集」よりも「膝の痛みをやわらげる特集」に関する見出しの方が雑誌の特集では多くなるかもしれません。
その頃「手帳術」は「エンディングノート術」に。
死後の目標設定とかも書かなくてはいけない時代が来るかもしれません。なりたい遺体像を描いて。そして目標を達成するまでのプロセスを蛍光ペンで色分けしたりするのです。

さておき。

かくいう私も駆け出しサラリーマンだったころには、「デジタルに記録する」ということにかなりの情熱を燃やしておりました。
そのための端末は電子手帳、或いはPDAと呼ばれ、PCショップではノートパソコン売り場の脇にこっそりと販売されていました。通信機能もついておらず、使っている人を町中で見かけることは、河川に迷い込んだアザラシを目撃するくらいに珍しいことでした。堂々と人前で使うというのは非常に勇気がいる行為でした。

私もとにかくそのころは、何か思いついたことがあれば、背徳的な秘密結社のようにこっそりと誰にも見つからないように、肩で隠すように端末の感圧式タッチパネルをコツコツと鳴らしながら、一生懸命文字を書いたものです。そして夜な夜な母艦のPCとケーブルで繋いでは、テキストファイルを吸い出したり、カレンダーが更新されたりするのを見て、ムフフとニヤけるような、そんな無駄極まりない日々を送っておりました。

しかし、世の中はすっかり様変わりしました。先日、ふと移動中の電車内を見回したところ、ほぼ総ての人間がスマートフォンを覗いていることに気が付きました。十数年前は背徳的な秘密結社的行為だったはずの小さな画面を覗き込むという行為に、気がついたらほぼすべての人間が取り込まれていたのです。立っている人も座っている人も、老若ニャンニョ総てです。

陳腐な表現になってはしまいますが、こんな時代が来るとはその頃は想像もしていませんでした。

と言った意味も踏まえまして、最近、移動中は文庫本を読むことにしています。
いつかまた、秘密結社に入る日を夢見て。
2017年03月05日(日) よろしくお願いいたします
見た目をちょっとだけリニューアルしてみました。毎回、変更はちょっとだけなのですが、パソコンが変わっていたりして古い段階のデータが残っていないので、結局、フルスクラッチで組み上げたくらいに書き換えております。まぁ、数年に一度の大掃除といったところでしょうか。気持ち新たにやりたいと思います。
乗っかっているシステムがよくわかっていないまま作っているので、細かいところでの不具合は残っているでしょうが、締め切りを今日に設定して作業をしていたので、これが現時点での私の実力ということになります。
人間どうしても、完全なものを出したいという気持ちが強く、結局未完の大作ばかり作ってしまいがちですが、肝心なのは不完全な状態ても完成させたという区切りを持つことなのです。なんていう自戒の意味も込めまして、今度ともどうぞよろしくお願いいたします。
2017年02月08日(水) 頻尿のインフルエンザ

日曜日の夜より、だんだんと節々がだるくなりました。
そして私には、だるい、というのはなんだか人間としての完成度が低い感覚という意識がありました。若者言葉というか。
「これがいわゆる「サザエさん症候群」というやつですか。観てもないのにお前ってヤツは…。」
などと、自己より生じた怠惰な若者精神に対する嫌悪感を口頭で露わにしながら、それでも、このだるい、という感覚がたんなる月曜日への反発であることを祈るように、明日も朝から良いスタートを切れるよう、いつもより早めの21時には就寝したわけです。

深夜、悪寒と発熱と悪夢のような何かに襲われました。

こりゃあいかんと、翌朝、よろよろとすっきりしない状態で行った内科で引いた整理番号は21番。
冴えない表情で順番を待つ高齢者が座る長椅子の端に申し訳なさそうに座り、封印作品の謎を追う文庫本などを読むこと90分…。
途中、どちらかというと採尿のためにあるような化粧室に高齢者を押しのけて入ること2回…。

インフルエンザでした。
頻尿の、インフルエンザでした。

といった意味も踏まえまして、本日自宅療養3日目を迎えております。
暗黙の職場ルールとして、インフルエンザに感染した場合の復帰は医者に従うように、ということなのですが、主治医からのお達しは、発症してから5日間は自宅待機という、職場の性質など考慮した最も厳格なもの。
ワーカーホリック気味な自分にとってその宣告は約120時間の投獄にも等しいものであったため、職場は少しマイルドにウソをつこう、そうだな木曜日くらいから復帰…と考えながら報告の電話をかけたのですが、インフルエンザの単語を発した瞬間に「あー、そりゃ今週はダメだね」という管理職からの条件反射的な感想。まるで希望ヶ丘駅へと降りる自動改札のタッチに失敗し、強烈なブローを下腹部にを貰ったような絶望感を覚えました。

私にとって月曜日は、最もエネルギッシュな週のスタートだというのに…。

現在は熱も下がり、だいぶ様態も良くなってしまっているので、徐々に仕事への不安が募る一方です働かないと酒を呑む気にもならないのです。筋力も落ちるだろうしナァ…。
2017年01月03日(火) 新年のご挨拶

なんだか散々な言われようだった2016年が終わり、気が付いたら2017年になっていました。
お疲れさま2016年!こんにちは2017年!
この調子でいくと2018年もあっという間にやってきて、なんだかんだで2019年に突入するのではないでしょうか。

そういった意味で言うと、ここでいまさら2016年を振り返るというのは、途方もない過去に起きた事象を、蓋然性の低い情報をベースに検証していかなければいけない、まるで神話や民謡から歴史的事実をひもとくような作業のようにも思えてくるのです。とてもワタクシのような人間が手に負えるスケールではないのです。

「年末になって速やかに一年間を振り返るような内容のテキストを起こせば良かったのに、なんだかタイミングを逃してしまったために面倒くさくなった」とも言います。

「物事を後回しにすると、あとあと面倒くさくなる」だなんて、まるでライフハッカー的啓蒙サイトのような教訓ですね。

きっと2017年も私にとってどうしようもない一年になるでしょう。
もしかしたら、これまで以上の七難八苦が襲い掛かるかもしれません。
そのときは少しだけキビキビと動こう、そんなことをボンヤリと考えている次第です。
2016年10月31日(月) 「愛はいかが?」と
高校時代の同級生と町でばったり会いました。最後に会ったのは昨年行われた彼の結婚式だったので、それほどレアな感覚の人間ではなかったのですが、社会人としてお互いかっちりとスーツを身にまとった状態で会うような機会というのは今までなかったもので、なんだか不思議な気持ちになりました。しかしながら、その不思議な気持ちの中にも、「アイツもアイツなりに頑張っているのだナァ」なんて思ったわけであります。

例えばこれが完全無職状態の寝癖ぼさぼさジャージ姿で歩いているところで会ってしまったとしたならば、どちらかがなんだか惨めな気持ちになってしまう恐れもあります。こちらとしてはそんな気持ちは全くなかったとしても、相手はどうでしょう。
ひょっとしたらそれでお互いの関係性が気まずくなってしまうということも考えられるわけです。

職業や収入、身に着けているものというのはどういった意味を持つのでしょう。職種や収入の多寡、残業時間の有無といったものはどうでしょう。

もちろん自分は相手がどんな立場なのかなんて、気にしない人間でありたいと思ってはいるのだけど、それは自分が普通に就労しているからこそ言えることなのかもしれません。
今日は何となく、そんなことを考えさせられました。歳をとったということでしょうか。
2016年10月24日(月) 「できないんじゃなくてやらないんです」と男は言った
やれることを心置きなく精一杯やるというのは、色々と批判も受けることですし、自分自身は意外と小心者なので、やり過ぎることで誰かから批判されるくらいなら、何もせず無難でおとなしい、平穏な日々を送るほうがいいのではないか、などと少しだけ行動をすることが億劫になることがあります。というよりは、ほぼ毎日そのような葛藤の中で生活をしているといっても過言ではないくらいなのです。やるんですけど。

実は今日もそんな感情の一日でした。

先週は体調を崩して仕事に穴をあけたから、休日出勤明けで声が枯れているからなどと、できない理由を布団の中でいくつも並べながら、刻々と過ぎていく時間の中で闘いました。

そして意を決し
以前の職場に差し入れに行ってきたわけです。

そんだけです。

そんだけなんだけど、極度の人見知りであるわけですから、緊張もするわけです。
そんだけなんだけど、「もう部外者的なヒトにそういうことをされちゃうとネェ」と面識ない人たちは思うかなぁなんて心配もするわけです。

ただ、苦楽を共にした人たちが相変わらずで頑張っているところを見れたというのは、自分自身にとって結構嬉しかったし、なによりそんな葛藤を超えて行動を起こせた自分も誇らしいというか、我ながらなかなかな休日を過ごしたぞ、という気がするわけですね。単純なので。

年々、行動するのが億劫になってきてはいるわけですが、まだまだなんとかやれそうです。
きっと歳を取って、色々なしがらみがもっともっとたくさん増えて、何にもやれなくなったら批判もしてもらえなくなっちゃいますからね。そう考えると、明日からまた、些細なことでもやるべきかやらないべきかさんざん迷って、人の倍くらい考えすぎて、生活していきたいと思うわけです。

まぁ、やるんですけど。

とまぁ、大きなことを書いてみましたが、要は
今日は休日出勤の代休日だったので
以前の職場にお菓子を持って挨拶に行ってみた
というお話でした。
2016年09月15日(木) ゼロからゼットの物語
先週は久しぶりに旧知の仲間と会い、過ぎた日々を懐かしむように酒を酌み交わしました。

出会いはすでに十数年も前のことになります。会社という経済的意味合いの強い関係性の中において、郷里に残してきた家族や、学生時代のともだちのような幻想的共同体を作り出そう、暑苦しくもいとおしいセーフティーネットをやってみよう、と半ば強引に、ワタクシの名前をもじって試験的に始めた謎のムーブメントも、この日をもって一つの区切りの時を迎えました。

今やそれぞれが新天地において、新しい「家族」や「仲間」を作り出し、幻想としての共同体を必要としなくなってきたと感じるようになってきました。きっと今後この関係性は、現在進行形の共同体としての役割を終え、地元の同窓会のような、そういった性質のものへと変質していくのだな、と強く確信しています。それぞれがまた、これからの新しい共同体において、これまでに得た経験や哲学的なものをミーム化し、それなりに誤訳され形を変えながらもこのエクストリームにのんびりした身体感覚を、緩やかに伝搬していくことだろうと思います。

家族という名の共同体が、子供が生まれ成長するまでの20年、学校という名の共同体が、長くて12年程度のものと考えると、幻想としての共同体に過ぎなかった我々の悪ふざけが、大体その中間位と、ここまで長く続いたことはとても嬉しく思います。
青春を過ごしたバンドマンたちが50歳台になって再結成されていくように、今後この共同体がまた息を吹き返すことは大いに考えられます。しかしながら、ひとまずZAWAZという共同体は、先週末をもって一度その主たる活動を凍結させると宣言したほうが、気持ちの上でもラクでしょう。
とはいえこれからも、ゆるく呑みに行ったり、温泉につかったりはするだろうけど。

といった意味も踏まえまして、そろそろワタクシも、自分の物語と正面から向き合わなくてはなりませんね。
そうしないと、彼らと呑みに行くときに、みじめな気持ちになるからね。

そんなことを考えながら、翌日は職場の若手を連れ歩き、昼から地元で呑み歩き。
3件目でカープが優勝する瞬間に立ち会いました。
次にカープが優勝するころには、私たちはどうなっているんでしょうね。

根本的にはあんまり変わっていないような気もしますが。

しかしまぁ、今週は週明けから二日酔いだったり、色々考えたりして、長かったネェ。
2016年09月04日(日) プラネットオブなんとか
自宅消失から半年以上が過ぎました、新しく建った新居は恐ろしいくらい快適で、明け方に物音や、夜中にうろつく隣人におびえるようなこともなくなりました。それほどの月日が経過したわけではないものの、これまで過ごした地獄のような日々が少し懐かしく思えてしまうくらいのところまで精神的にも回復しました。長期にわたり眠りについていたデスクトップパソコンにもようやく電源が入り、いよいよ新しい物語の予感に打ち震えているところです。

心が落ち着いたら必ず観ようと心に誓っていた大好きな映画「ファンタスティックプラネット」も、ようやく本日新しくなった書斎で鑑賞することが出来ました。トポール&ラルーという究極タッグの作品に酔いしれながら、またこれから野生の惑星を開拓していこうという決意を新たにしているところです。

ほかにもいろいろありますが、まぁ、近況としてはそんなところです。
2016年07月26日(火) #n/a or #n/n/a

そろそろこの不快適な環境の出口が見えてきました。
来月の今頃はきっと落ち着いた机に座ってPCに向かい合っているのではないかと思います。
足並みをそろえるように、これまでに歩み、そして綴ってきた、どうしようもないほどにクソッたれな日々や、不安定な精神状態の文章なんかを、綺麗さっぱりなかったコトにして、いっそのことアカデミックでハイカルチャー感のみなぎる、新しくてカッコいいデザインのページを作ろうかなどと考えているところもあるわけです。

しかし、すでに10年近く代わり映えのしない、この禍々しくも愛おしいトップページには、ヒトに語るのも躊躇するような色々な思いが詰まっているわけで、まぁ、それはヒトに語るのも躊躇するような色々な思いなわけですから、ここで書くわけもないのですが、そういった意味も踏まえまして、どうにも踏ん切りがつきません。

そもそもワタクシの私生活というか、すべての局面において、どうにも踏ん切りが付かないというのは、一種のワタクシそのものといえなくもないわけで、ページをデザインし直すということは、その人間性を今から全面的に否定するということにも繋がりかねないわけです。

それならばいっそ、このままのデザインで行けるところまで行ってしまおうか、なんていう気持ちにもなるのですが、それはそれでなんというか、「今日は部活に行くのはよそう、咳も出る気がするしネ」といった、できないことの理由づくりはプロフェッショナルという、とても理屈っぽいしょうもなさ、というものも感じてしまうわけでありまして、「明日から本気で就職活動をするよ」といった、なんかそういう下流志向の雰囲気といいますか、本気出せばいつでも上流社会にいけると勘違いしているような、そんな空気感すらでてしまうような気もしてしまうわけでありまして、つまりはマァ、とりあえず、なんか続けていくうちに、良い所に行き着くのではないか、という甘めの見通しを持って、一歩一歩前に進んでいこうかな、と考えているところです。

なかなかどうにも、踏ん切りのつかない人間のようです。
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