ORECHIGOKU

ひとこと

信頼できる情報源から入手したとされる根拠の無い情報によって、私達の心は、少しずつではあるけれど着実に、まるで万力のようにギリギリと、無自覚なままに蝕まれているのです。そのことに気づいてしまった私は、厳しい現実から逃げるように乳首ヶ丘の高台に登り、かつて過ごした穏やかな人たちとの日々を思い起こしています。その思いはいつか風に乗り、かつての信頼できる情報筋の人々の耳まで届きます。平穏だったはずの日々は、情報筋の人たちによって都合よく加工され、人々の食卓へと届けられます。それを口にした皆様の心はまた、ジワリジワリと蝕まれていくのです。

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このページと管理人について

H.B.ストラス
流浪のWEBクリーチャー。
世紀をまたいでなおもしぶとく続いている何だかわからない雑文が日々ダラダラと書き加えられていくというあまりエコ的な観点からするとエコではないサイトだかページだかマァなんて表現したらよいのかよくわからない今日この頃です。そんな感じでよくわからない人間がやってます。むしろ分ろうなんてしなくてイイんです。皆さんにはきっと他にもやるべきことがたくさんあるはずです。
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shiromuku(fs6)DIARY version 2.41

お知らせ

  • 画面を少し横長にしたり、ソースをキレイにしたり、画像をいろいろ変えました。<2017.03.5>
  • 気が付いたら表示が崩れていたので、少しスタイルシートを直しました。<2016.01.27>
  • ブツクサを右に。3カラムにしてみました。昔の雑なコーディングに悪戦苦闘。<2014.09.16>
  • ブツクサ言い始める。<2011.06.19>
  • 取り敢えず再公開。<2009.12.26>
  • さらに面倒くさくなったのでブログシステム的なものを導入しました。<2009.12.24>
  • 面倒くさい部分はDreamweaverさんにやって貰うことにしました。たまにはツールに頼ることも大切ですよね。そして思っていたよりもカシコイ<2009.1.14>

雑記

2015年01月25日(日) 雨の日の午後はペンナリするぜ
なんか体調が悪いだのなんだの言っておりましたら、実はインフルエンザだったということです。対人的な業務の多い職場に努めているということもあり、火曜日より5日間の自宅待機を命じられてしまいました。
こんなことならば、インフルエンザの検査はしてもらうんじゃなかった…。
いやマァ、してもらわないと話にならないわけですが。

そんなわけで、突然降って湧いた長期のお休み。普段であれば、ワァー、なにやって過ごそう。攻略サイトもないようなドマイナーなPC98のゲームでも地味に攻略しようかしら、なんてワクワクしてしまうところなのですが、インフルエンザというものはなかなか上手く出来ているというか、その辺り、甘くはないわけで、あまり飯を食べる気も起きず、謎の咳き込みは収まることを知らず、朝起きてもペンナリとしており、とてもじゃないけれど遊んでいる場合じゃないな、オレはもうこのままペンナリとした中年で終わるのかな、と精神的に大変よろしくない日々を過ごすことになったのでした。

週末、ようやく体調も回復の兆しを見せまして、記念すべき社会復帰第一日目は町内会の会議でした。地域の幹事さん役員さん一同が会館に集まって集金だの推薦だのといったお話。60過ぎた年配の女性に囲まれ、好きな人にはたまらないシチュエーションなんだろうな、と思いながら小一時間ペンナリと過ごしました。とても場違いな空間でした。もしかして自分は、近所の人たちに嵌められているのではないだろうか、こういうところにくるのは、定年を終えた人たちばかりなのではないだろうか、仕事休みとって出席するようなヒト、他の地区にはいないのでは?と少しだけ思いました。

しかし、なぜ自分だけが?なんて考えるのは、自分の伸びしろを奪ってしまう良くないことです。

ですから、思い改めまして、こういった空間においても輝ける瞬間を見出し、楽しく過ごすことが出来る人間にならなくてはイケないな、とマァ、そんなことを考えたわけであります。
と言った意味も踏まえまして、気持ち的にもバリバリ働いているときのメンタルに近づいてきたようですので、来週からは本気で気持よく仕事が出来そうです。

まだ、ペンナリは治んないんだけどサ。いや、もともとこんなにへニョっとしてたのかな。ムゥ。
2015年01月19日(月) 一方通行は待ってくれないようです

週末に体調を崩してしまったらしく、制御不能な咳込みに苦しめられている最中です。こういうときというのは色々と困難な出来事が連鎖してしまうもので、今日は夕食を食べている最中に奥歯の詰め物(しかもほぼ「歯」のカタチをしている結構重要なポジションの金属)がポロリと抜け落ちました。明日にでも歯医者に何とかしてもらいたいところではあるのですが、現在は3秒でも口を開けようものには、敏感に腫れ上がった口腔が乾燥状態に耐え切れず、体を丸めて咽こんでしまうような切羽詰まった状況下にあるわけで、なかなかのダブルバインドに陥っていると言えなくもありません。

我ながら意外だったのは、このような追い詰められた状況下にさらされているにもかかわらず、意外とメンタル的には落ち込んでいる様子もなく、どちらかというと「おもしれえ〜、一つ一つ片付けてやるぜぇ〜」的な不思議と心の底から闘志が沸き上がってくるような、そんな状態に自分がなっているということです。

もしかしたら、この数年、ちょっとアタマをぶつけすぎたせいかもしれません。マァ、しょんぼりしてしまうよりは遥かに良いコトでしょう。

明日はやることが多そうだ!
2015年01月05日(月) ヴァリアントな愛の戦略的年賀状

さて新年も明け5日が経過しました。ジワジワと我が家にも宛先人不明の年賀状が戻ってきているところです。既に仕事始めということもあり、この辺りから戻ってくる宛先人不明年賀状に対しての扱いをどのようにしたら良いのか、途方に暮れているところです。特に去年まで在籍していた職場。向こうからは届いているのに、こちらが出したものは宛先人不明という、不平等条約のようなお便りが幾つかありました。

もちろん、今からもう一度、新しく判明した住所に出しても良いんです。けれどもなんとなく、そういった方々に対しては、新年会的な飲み会の席で先に会ってしまうような気がしないでもないわけです。その時に、まだ出し直しの年賀状が届いていないということになると、これはなんとなく、気まずい感じになってしまうような気がするのです。

いっそ逆上的に、宛先人不明の年賀状を常に持ち歩き、なんらかの飲み会の席で出会えた瞬間にそれをホイと渡し、ホラね、俺ちゃんと年賀状書いて出していたんだからネ、決してネ、忘れていたとかそういうわけではないのだからネ見捨てないで!と言い訳がましいことをグジグジと話すという、そういうテクニカルなやり方も考えられますね。

ただコレは相当に渡すときのテクニックが必要になるわけで、ある程度の意思疎通ができていた相手でない限り、「なんなのよ!このグジグジと言い訳がましい男!気持ち悪いのを通り越して…抱いて…。」なんていうことになりかねないわけですからして、エェまぁ新年早々そのような気持ち悪い妄想的なことを考えている暇があったら、さっさと年賀状が遅れてごめんなさいね改めて出しますから今年もどうぞよろしくお願いいたします見捨てないで!的な潔い年賀状を出すべきだと、ワタクシはこのように思うわけであります。

と言った意味も踏まえまして、年賀状は楽しいですね。
スマートフォンにおけるマイクロブログやメッセンジャーアプリといったもので、意思の疎通がほぼリアルタイムに出来る現代社会においては、あまりにもレガシーでロートルで、野暮ったく、ヒトによっては利権の香りさえ感じてしまうほどの挨拶様式となってしまっている年賀状ですが、なんだか戦略的にアーデモナイコーデモナイと考えたり、馬鹿みたいに妄想したり、想定外の目上の方より頂戴して焦ってみたり、年の始からいろいろな感情が呼び起こされるわけでありまして、僕は結構好きです。

今年末は是非、戦略的に年賀状に取り組み、圧倒的精神的優位に立った状態で新年を迎えたい。そう考えているわけです。今からとても楽しみです。楽しみだからきっと、あっという間に12月なんか来ちゃうんだろうナァ。
2015年01月04日(日) 失敗と修正の日々
年を追うごとに、年末年始に対する思い入れというものが希薄になってきてしまいました。気がついたら今日で連休も終わり。意外となんだか社会的にパッと時間を与えられたところで、そこまでしてやりたかったことというのはあまり思い当たらず、ボケっとしていたら終わってしまいました。

こういうのはなんだか損した気持ちになるので、これからはやりたいナァと思ったことは書き留めておこうかと考えてみたりもしたのですが、考えてみると、書き留めて置かなければ覚えておけないくらいのことというのは、もはやそれはやりたいこととはいえないのではないでしょうか。

そんなことを考えるようになって、日々のToDoを作るという行為もあまりやらなくなりました。例えば買い物リスト。買い物リストを作ってしまうと、なんとなく買い物リストを埋めるために必要のないものまでリストの中に紛れ込ませてしまうのではないか、と考えたわけです。そういう貧乏性的な気持ちが浪費につながるのではないか、そもそもほんとうに必要なものであれば強い意志が購入という行為まで持続するわけであるからして、買い忘れるというようなことはないのではないだろうかとマァ、そんなふうに考えたわけですね。

よって、本日の風呂掃除は水のみで行われました。

必要なものでも、忘れることはあるようです。失敗と修正の日々です。
今年も失敗と修正を繰り返すことでしょう。
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