ORECHIGOKU

ひとこと

信頼できる情報源から入手したとされる根拠の無い情報によって、私達の心は、少しずつではあるけれど着実に、まるで万力のようにギリギリと、無自覚なままに蝕まれているのです。そのことに気づいてしまった私は、厳しい現実から逃げるように乳首ヶ丘の高台に登り、かつて過ごした穏やかな人たちとの日々を思い起こしています。その思いはいつか風に乗り、かつての信頼できる情報筋の人々の耳まで届きます。平穏だったはずの日々は、情報筋の人たちによって都合よく加工され、人々の食卓へと届けられます。それを口にした皆様の心はまた、ジワリジワリと蝕まれていくのです。

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このページと管理人について

H.B.ストラス
流浪のWEBクリーチャー。
世紀をまたいでなおもしぶとく続いている何だかわからない雑文が日々ダラダラと書き加えられていくというあまりエコ的な観点からするとエコではないサイトだかページだかマァなんて表現したらよいのかよくわからない今日この頃です。そんな感じでよくわからない人間がやってます。むしろ分ろうなんてしなくてイイんです。皆さんにはきっと他にもやるべきことがたくさんあるはずです。
Sorry Japanese Only
shiromuku(fs6)DIARY version 2.41

お知らせ

  • 画面を少し横長にしたり、ソースをキレイにしたり、画像をいろいろ変えました。<2017.03.5>
  • 気が付いたら表示が崩れていたので、少しスタイルシートを直しました。<2016.01.27>
  • ブツクサを右に。3カラムにしてみました。昔の雑なコーディングに悪戦苦闘。<2014.09.16>
  • ブツクサ言い始める。<2011.06.19>
  • 取り敢えず再公開。<2009.12.26>
  • さらに面倒くさくなったのでブログシステム的なものを導入しました。<2009.12.24>
  • 面倒くさい部分はDreamweaverさんにやって貰うことにしました。たまにはツールに頼ることも大切ですよね。そして思っていたよりもカシコイ<2009.1.14>

雑記

2010年11月29日(月) クスリ通 / 唐沢 俊一

このところ重たい感じの本ばかり読んだ気がするので、久々に軽めの雑学読書。そういう意味では、本当に唐沢俊一氏らしい軽い本。
特に心に残るものはないし、たぶん読み返すことはないでしょうけど。たまにはこんな本もアリだな。良くも悪くも雑誌的な。
2010年11月28日(日) 帰りたくない / 河合香織

前作「セックスボランティア」が衝撃的だった筆者の一冊。
前作を読んで非常に印象に残ったのは、「セックスボランティア」という職業だとか、社会的に落とした影のもつ「なんだかなぁ」感だとか、そのものではなくて、それを取材し、一冊の本にするまでの筆者の考えというかそういった面での色々な苦悩と葛藤、そして語られる幼少時代の体験というった部分です。
そういう意味で、今作のまずそのテーマの選び方からして、これは筆者の気持ちがつづられた前作のエピローグから続くところがあるのではないかなと、自分なりに感じるところがあったわけです。

もちろん、今作だけ、取り扱っているテーマのテキストだけを読み進めていってもこれは素晴らしい仕上がりになっておりまして、非常に巧みに構成された章立て一つとってみても、筆者の技量に驚かされてしまうわけです。社会的に落とした影のもつ「なんだかなぁ」感だとか。

でもこれは、やはりその文章から感じられるもの的なところからすると、河合香織「セックスボランティア」の続編、といったような気がするんです。

もの凄く見当はずれなのかもしれませんが。
2010年11月07日(日) 明日は我が身

とにかく来年は色々とありそうなので今のうちに部屋を片付けておいた方が得策であろうという判断のもと、今日は予定も入れずに部屋の整理をちょこっとだけしました。

必勝パターンは見えてきました。いらないものはどんどん捨てる。もしかしたら今後いるかもしれないなんてものは大抵いらない。服なんて、もしかしたら今後着るかもしれないなんて思って、着たことなんて今まで一度もない。だから本当はいらないということもわかってきたのです。

ただ、困るのが故人にまつわる物や服。そもそものマテリアル的な価値としてみたならば、今後いらないということは120%わかっているといはいえ、故人の思い出は捨ててしまったら二度と帰ってくるようなものでもなく、やはりどうしてもそこは冷静になりきることができないのです。

オレはまだまだ人間だなぁ。弱いなあ。と思う瞬間。でも人間らしさも弱さも、今は克服しなくてもいいかな、と思うのです。

ある日ふと、そんなものまで冷静に捨ててしまうことのできる自分になてしまっているかもしれません。それはちょっとさみしいなぁと今は思うのです。そのときがきたら、寂しさすら感じることはないのでしょうけど。うーむ。
2010年11月04日(木) 肯定のみ
水曜日の祭日は仕事で新杉田のほうまで行ってまいりました。新杉田という駅は僕にとって思い入れもなんにもない駅なのですが、改札を出たあとにあるモールが「アルカード」という名前で、それは僕が昔働いていた武蔵中原の駅前モールと同じ名前にして同じ雰囲気を醸し出しているので、なんだか歩いているだけでおセンチな気分になりました。いや、むしろだからこそ負けずに働こうと思ったね。よくわかんないけど今の仕事をね。

休憩時間にバーミヤンで蒸し鶏炒め的ご飯を注文したら、すさまじいまでのもやし炒め(ほぼ蒸し鶏なし)で、そこだけは武蔵中原の紅虎餃子房のほうがいい飯食えていたなぁ、と思ってしまいました。というか、その日はそういうなんか昔のことを沢山思い起こしました。アルカードが悪い!

でも昔のことを考えておセンチになる、というような、そういう気持ちはなくなるものではないのですね。いや、もしも気持ちの切り替えとかがスパッとできる、昔の記憶が切り離されるとしたらそれはそれで寂しいものでしょう。今までの積み重ねできた人生そのものをきっぱりと否定することになりかねないでしょう。

だから、おセンチになるときは思いっきりなればイイのではないかと思うのです。
2010年11月02日(火) 音楽とウォークマン
車のオーディオがCDプレーヤーしか搭載されておらず、なんだか曲数にものたりなさを感じたのです。先日。

それで、その関係でちょっと調べ物をしていて気が付いたのですが、ウォークマン用のガム電池というのはもう各社生産されていないようです。かつてMDウォークマンでは標準的に使われてきたガム電池。もしかしたら今の学生達はMDなんていうものすら知らないのかもしれないのです。

そんなことを知った時、CDプレーヤーしか搭載されておらず曲数に物足りなさを感じたりする自分も時代の流れとともに音楽の聴き方というのが変わってしまったのだな、と思ってしまったのです。

もう少し、昔のように1曲1曲を大切に聴こう。
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